皆様、こんばんは。
深津です。

今夜は番外編なので
読み流していただいても
構いません。

いろいろと思うところ、
ちょっと独り言です。

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いつもの年なら、この季節は
朝から新入社員が
ブルーシートで場所取りしている
会社の近所の公園。

桜はすっかり見ごろになってますが
花見をしている人は
皆無

卒業式も、入学式も、花見も、
判で押したように自粛、自粛。

どこぞの老害が
花見は自粛すべきだ等と
上から目線で言ってますが

自粛は、「自ら」行うから
自粛なのであります。

お上から強制されるのは
「自粛」とは言いません。
「禁止令」です。
余計なお世話もはなはだしい。

べつに、私は宴会なんかしなくても
ぜんぜん平気ではありますが、

世間一般の大勢の人が
いとも簡単に
同じ論調に流されて同調し

自分の意思を持たずに、
安易に『自粛』という名の
禁止令に従っている現実に
戦慄を覚えずにはいられません。

それと、
『不謹慎だから』という言葉。

『被災者の心情を考えると
 宴会するのは不謹慎だ。』
・・・これって、おかしくないですか。

被災者が一日も早く
平穏な生活を取り戻せるよう、
皆で願いを込めて、

桜の木の下で静かに酒を飲んでいたとしても、
それは悪いこととは思いません。

被災者をバカにしたり
笑いのネタにしたり
そういうことをするのが
本当の『不謹慎』なのではないですか。

本当に被災者のことを思い、
被災地の状況を心配し、
日本の将来を憂うなら

自粛しているヒマがあったら
どんどん仕事して稼いで
どんどん消費して
日本経済を回すべきです。

普通の生活ができる境遇の人は
普通の生活をすべきです。

その上で、
きちんと働いて稼いだお金から
募金すればいい、と思うのは
間違っているでしょうか。

花見にしても、
被災者の人々の分まで花見をして、
東北産のお酒をもっと飲んだほうが
いいと思うのは、間違いでしょうか。

かかった費用と同額とか、
せめてお釣りだけでもいいから
募金すればいい、と思うのは
おかしいことでしょうか。

自粛しても
悩んでも
心を痛めても
涙を流しても

被災地の現実は
1ミリたりとも
変えることはできません。

もちろん、私だって
人間ですから、

被災地の状況を報道で観て
ものすごく心を痛め、
とめどなく涙を流しました。

しばらく、うまく言葉を
発することもできませんでした。

でも、その結果として
何にも被災地の人々には影響しません。
何の貢献にもなりません。

ただただ、
自分の心がネガティブになるだけ。

そんな気持ちで仕事しても
仕事の効率は恐ろしく悪くなり
被災者以前に、
クライアントに迷惑かかります。

いま、私たちがすべきことは
被災地の人々のために、
東北のために、
日本のために、

とにかく動くことです。

自分にも、できること。
どんな小さなことでもいい。

自粛なんかしてるヒマがあったら
自分にできることを
どんどんやるべきだ、と思います。

直接的な
募金やボランティアや物資の提供も
さることながら

間接的には
いつも通り生活し、
いつも通り仕事して、

いつも通り稼いで、消費することも
ものすごく貢献になっていくのです。

動ける人が
動きを止めたら、
日本全体が止まってしまう。

それで、被災地が救えますか?

被災地を復興させるためにも
私たちは、
動きを止めては、いけないのです。

動き続けるべきなのです。

壮絶な、悲惨な、
悲しい現実を
目の当たりにしても
ショックで落ち込んでる場合ではない。

被災者の人々のほうが
よっぽど深く、大きく、
ショックを受けているのです。

それと比べたら、
普通に生活できる境遇の人は、
『ショックで何もできない』なんて
言っている場合ではありません。

震災を言い訳にして、
逃げているだけです。

起きてしまった過去よりも、

この先、自分は何をすべきか
未来のことを考えるべきだ、と思うのです。

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こんな私の独り言に、
最後までお付き合い頂き、
ありがとうございました。

深津

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